本当は「自分を愛する」ことからは、はじまらない

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自分で自分を愛せない…
自分が好きじゃない…
もしそういった状態にあるのなら
誰かに、
ぽっかり空いた心の穴=不足感を
埋めてもらおうとするはずです。




そんな時は
愛が欠乏していると感じているので、
それを埋めてもらおうと、
感心を向けられるようにしたり
他者から認めてもらいたいと思ったり
もっと「愛してよ」…
という心の動きが生まれる。




こういった渇望の欲求=「欠乏感」、「不足感」は、
自覚しようがしまいが
不満や不安を生み、
どんどん外のモノで埋めようとします。




例えば・・・
何か自分を幸せにしてくれそうな仕事や、人間関係を追い求めたり
モノやお金が自分の不足感を満たしてくれると思って、執着したり
誰かに認めてもらったり、愛してもらうことで、満足しようとしたり
出世や、地位を求めて、人生に充実感をもたらしたくなる…




この不足感があると、何かを得ても、満足するのは一時だけで、
また、何かが欲しくなり、延々と続きます。




自分自身を愛せていなければ、何を得ても、
延々と外のモノに何かを求める生き方しかできなくなるのです。




たとえば若いころ、さまざまな女性の相談をうけたものですが、
(結婚する前だったら)
結婚したら、幸せになれると思っている人も少なくなかったように思えます。
ただ、自分をどう思っているのかが変わらなかったら
結局のところ何かが足らない感覚が湧き上がって
漠然とした苦しさを感じ続けてしまうようなところがあるように見受けられました。




だから心理学を学んだあとは
自分自身を愛すること。
自分を大切にすること。
自分自身を認めてあげること。
自分を尊重し、ありのままの自分を受け入れること。




これが出来る様になると、
「人に埋めてもらおう」と思わなくなる
と考えるようになり
実感するようになったから
他人にもそのようにアドバイスする
ようになったものです。




そうすると外のからの(パートナーや子供や、物質や、承認や称賛)モノで、
埋めたいとは思わなくなります。
人との関係性は、自分の中で既に満たされた豊かさを、分かち合うものとなります。
洋服や貴重品や家や車といった物質も、
自分の豊かな人生を楽しむための味付けや彩になり、
執着することもなくなり、
地位や名誉も、人生のプロセスにすぎないから、
そのことに振り回されたりしなくなると
「考える」ようになります。




自分の中に豊かさをはぐくめば、
周辺にそれが伝わっていきます。
だから周りの人を幸せにしかたかったら、まずは、自分からということになる。




そして自分を愛「する」ことを実践すると
不思議なことに人生が激変する。




なぜかというと、人生は、自分の心が映し出されたものだから…
という話になります。




確かにそういった体験をすれば
そのことが真実であるように感じられます。




ただ瞑想などでもっと自分の内側をみつめ
自分に誠実に正直に向き合っていくと
そういった「する」ことがプロセスであったかというと
実はそれは「結果」であったということに気づいたりします。




内省したり内観したりしているうちに
繊細な感覚に意識を向けていくとあることに気づきます。
どうやら自分を愛するとか自分を肯定するというのは
自然発生的に起こるようなのです。



たとえば自分を愛するということならば
自分を愛そうとする練習をすることなどする必要がなく
自分を愛「する」こともわざわざしようとすることもなく
むしろ何かをしなくなることによって
自然に内側から湧き出てきたものなんだということに気づきます。



ですから本当は自分を愛することから
はじまってはいなかったようなんです。



ただ、あまりにもその気づきは
今まで耳にしてきたことと違っていて
非常識なように思われてしまうので
全く信じる必要はないと思うのですが、
あえて言葉にしてみることにします。



どうやらここにおいても
何かを「する」(たとえば愛するとか肯定するとか)必要など何もなく
自分の中に愛がないということに気づき
向き合うことでその状態が鎮静化し
「足りないという穴とは違った」
何の「色」もついていない真空状態(スペース)ができて
動脈硬化で詰まっているような状態がなくなって
自然にエネルギーの通り道ができて
内側から外側に流れるようになるようなのです。(^-^)

2013年07月16日