感性行動研究所
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ハワイのフナ(古代形而上学)・脳科学・ヨガ・エネルギー療法や
心理学を融合した幸転プログラム
30年以上も人の悩みに向き合っていれば、学んできたことや常識とされることとは別に自分の体験にもとづいた信念を持つようになります。
そういった信念のひとつなのですが、悩みを抱えている人に対する私の独特なとらえ方があります。
一般的に悩みを抱えている人というのは、心の弱い人ととらえれれることが多いのではないでしょうか?
ですから、悩みを抱えて苦しそうにしていたり悲しそうにしていると気の毒な気持ちになり「可哀そうなひとだ」と同情や共感するような感覚を抱くはずです。
でも私には、それとは少し違った感覚が前々からあって共感力が足りないのかな~とも思っていました。そして周りのひとの感覚との違いは、なんなんだろう?と思っていたのですが、瞑想中のインスピレーションで頭にこのようなイメージや感覚や思考が浮かんできたのです。
“本来の自分、本来のエネルギーレベルでとらえてみると悩みや問題をつぎつぎと抱えているというのは、それだけ難易度の高い人生を歩むことを決心し、自ら選択して、この世に生を受けたという魂レベルでの高い志をもっていることを意味する。”
“今生での魂の成長を格段に高めるために厳しい環境が与えられる家庭や家族を選び心のブレーキ(リミッティングビリーフ・制限的観念)や心の傷による仮面や衣装を身にまとう。。。”
こういった感覚が私の体に刻まれたからなのでしょうか?
悩んでいる人をみるとそこに、他者や社会への愛や感謝といったモチベーションに突き動かされて、難易度の高い人生を選ぶという思いきった決断をしたという光の側面(決意)が感じられて、向き合っていると感謝とか感動といった感覚に心が打ち震えてしまうのです。
厳しい環境を選べるのはもともとその素養があるからです。
言い換えるなら選んだ環境に「ない」ものは、既にもっているから「与える」ためまたは「与え方」を身に着けるために、その人は今ここにいるのです。
だから私には心が弱いなんてふうには観えません。
むしろ魂レベルでは強い意志や決意が感じられどうしても敬意を払いたくなり感謝の念すら抱いてしまうのです。
2013年01月23日
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