感性行動研究所
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ハワイのフナ(古代形而上学)・脳科学・ヨガ・エネルギー療法や
心理学を融合した幸転プログラム
何かと比較することで
私たちは考えることができる。
だから理解するというのも考えることになるので
どこかしらで比較しているという作業を行っているというのが本当のところでしょう。
誰かを理解するというのも
結局は何かと比較するという作業を
無意識のうちにしている。
だから考えたり理解しようとすれば
必ず二極性が生まれて
相反するものがでてくるのに
そちらの方を見ないようにしているような側面もある。
理解したり考えていたりするかぎり
本当の意味で現実を受け入れることはできていないのかもしれません。
同じような意味で感情を感じているということも
こういった相反する側面があります。
ですから
ネガティブというものも
それだけを部分的に切り取ってみれば
たしかに嫌なことで、その通りなのだろうけど。
少しだけでも引いて全体を眺めてみると
そうでないことに気づけるかもしれません。
それでは、これから感情というものを瞑想的にとらえるとどうなるのか?
私なりのとらえ方をご紹介しようと思います。
2013年04月01日
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