恐れを歓迎するとしたら

たとえば代表的な恐れるという感情はどうでしょう?
恐れというのは私たちに日常的につきまとう感情で
恐れるものがないという人は
まずほとんどいないといっていいはずです。




恐れというのは、私たちの誰もが、
余り感じたくない感情の一つ…。
“また、失敗するかもしれない?”
“また、失うんじゃないか?”
“また、怒られてしまうかも?”
なんて、ことはあまり感じたくない。




なにしろ、かなりつらいし、しんどいし、
疲れたり、落ち込んだりするから。




恐れとはどういうものだろうか?
それをシンプルにとらえるなら、
“過去の体験に基づく、未来の防衛反応”
って感じでしょうか?
私たちは、過去の経験から
失敗したとか
傷ついた経験から身を守ることをことを学びます。




そしてもう二度と失敗しないように傷つかないように
身を守ろうとする心理(反応)が生まれ、
これを自覚することで恐れとなっていきます。




たとえば、若かりし頃、想いをよせていた人に
思い切って告白をする。
これはワクワクする反面、同時にドキドキして怖い。




ポジティブな妄想なら
「付き合えたら、行きたかった○○でデートして~あそこで食事して~ムフフフッ」
てな具合にあれこれと広がっていくのですが、




でもまてよ!
「振られたしまったら、二度と今まで通りの友達ですらもいてくれないかも?そうなったらどうしよう!」
という怖さがいろいろと湧き上がってきます。




いいことがあったら悪いこともある…
こういった感覚は、どちらかというと
頭よりも身体が何か違和感を伝えてくるから
そういった思考や感情が生まれるのですが
これも過去の経験がそうさせているようです。




それが初告白というシチュエーションなら
告白で断られた経験は無いはずなのに
過去に人から拒絶されたと思った経験やこちらの愛を受け取ってもらえなかったような経験
(物心がつく前などに母親が忙しくてかまってもらえなかったなど)
などから、同じように傷つくのは嫌だという恐れの反応や感覚が生まれてきます。
それが告白する時の怖さとして表れてくる…




このままその恐れを避けようとすれば
いつまでもこの感覚は残り続けることでしょう。
ただ、もしこの恐れに飛び込んでいって
感じきったのなら
私たちは必ず意識が変性していきます。(変性意識状態)




そして相反するもうひとつの側面に気づける土台ができるのです。




恐れの二極性。
その反対側にあるのは
勇気。




恐れを感じるということは
その状態を超越する
勇気を育むことにつながります。




恐れを感じないと勇気が生まれない。
勇気は恐れを素材としている!




そういった体験をしてしまうと
もはや恐れという感覚をネガティブだとは思えなくなるかもしれません。




そしてこうつぶやけるようになります。

私はこの恐れの感情を愛します。
そしてこの感情が生まれたことを歓迎します。
恐れの感情は、消え去る必要もなければ、
変わる必要もありません。
この感覚は私の一部であり、
世界や宇宙の一部で
かならずどこかにあり続けます。
だから私は、これに感謝と愛情と至福の想いを注ぎ
そしてこの境遇を受け入れます。
と…


関連:アティーシャのハート瞑想

2013年04月26日