こころの裁判官から名探偵に変わるとき
あんたってこういうところあるよね!
なんて言われれば、それが認めたくないことであればあるほど、その想いとは裏腹に
認めざるを得ないような裏付けをしてしまうところが私たちにはある。
たとえば子供のころは男の子なら誰しも勇気があるヒーローに憧れるものだけど。
「あんたは怖がりなんだから」
なんて言われようものなら、それを認めたくないから
「僕は怖がりなんかじゃない!」
なんて心の声が叫ぶかもしれない。
そうすると心の深いところで、ひとつの「問いかけ」が生まれる。
たとえば
「ピンクの象を思い浮かべてはならない」
と言われればピンクの像を思い浮かべてしまうように
否定しようとするものをイメージしてしまう。
それが非言語の感覚になってそれをあえて言葉で表現すると
「言われことは本当だろうか?」
「いやそんなことないだろう?」
なんていう問いかけが、無意識の内に行われるようになり、その答えを得ようと
裏付け調査をとる人生を過ごすようになります。
生き残るための本能としては、危険を察知する能力が重要だから、否定的なことであれば強く心に刻み込むようになる。
それが勇気をもって行動したことが60回あって、怖がったことが40回あったとしても
40回の裏付けがとれれば十分で、印象としては60回の勇気は無かったことになってしまう。60回の勇気はかくれんぼしたままになってしまう。
こうやって自分の性格というものは、認めたくないことの裏付けによって、無意識の内に自分自身の手で「作られて」いく。
「自分」だと思っている「性格」は実は偽物だ。
過去の自分に向き合うというのは、この「裏付け」に向き合わなければならないから
認めたくないことの宝庫だから、とてもつらいもの。
ただ大きく立ちふさがる「裏付け」の向こうに、かくれんぼしたまま見つけられないでいた
「真実=自分」に出会うことで、人は変わる(作られた自分から解放される)ことができるようです。
自分に対して、犯人捜しをする刑事や裁判官から、無実を証明する名探偵になれたら
もっと自由にシンプルな人生を歩めるのかもしれないそう感じています。
2014年03月13日