ホリスティック心理セラピーは本当の癒し

ホリスティック心理セラピーは、その基本姿勢として問題とされることに対して
それを排除しようとか
消してしまおうとか
予め決まった対処法は「こうだ!」なんていうものはありません。

それは瞑想やヒーリングをベースとしているからです。



「瞑想(meditation)」という言葉は、
「薬(medicine)」という言葉と同じ語源に由来している。
薬は肉体を癒すものであり、瞑想は魂を癒すもの-両方とも癒しの力だ。
もうひとつ覚えておくといい。
「癒し(healing)」と言う言葉と「全体(whole)」という言葉も同じ語源に由来する。
癒されるとは、何も欠けることなく、全体になるということに他ならない。
他の副次的な意味を持つ言葉として「神聖な(holy)」と言う言葉も同じ語源に由来している。
「癒し」「全体」「神聖な」の語源は同じだ。
byOSHO




肉体的な癒しを感じているとき
私たちは全てをゆだねるような感覚=この全体性を味わっていることに気づけます。



そして精神的な癒しを感じているときも
本当のところは同じですべてに対してゆだねがあるということに気づけます。



ただ、思考にハマっているとき
思考の機能そのものは二元論的に働くので
善と悪のいずれかに物事を分類してしまうから
悪との戦いみたいなモードでその悪と断定したものを排除しようとします。



西洋医学的に問題は切り取って捨ててしまう。
多くの場合それは対症療法となります。
もちろんそれでも楽になるでしょう。



ただ人間の身体は機械ではありません。
それは小さな自然といってもいいでしょう。
部分を切り取ればなんらかの問題が発生します。
どこかの森林を伐採すれば、生態系が崩れその影響は時間をかけて広がっていきます。



道(tao)や中医学(漢方)的にとらえると
問題の部分を取り除こうというのではなく
全体としてとらえます。
身体を自然としてとらえる。
それと同じように精神性の部分でも同じようにとらえるのです。



たとえば、
劣等感などは、自分が行動する原動力となると以前のブログなどでもお話しましたが、じゃあそれよりももっと深い存在感に関わる「生きていてはいけない」という感覚は、さすがに肯定的な想いを支えてくれる陰(縁の下)になるとは思えないかもしれません。



ただ、この感覚はスピリチュアル的には聖なる感覚で
感覚の鋭敏さがあるがために
自分は肉体ではない。
自分は身体ではない。
その枠に収まるべき存在ではない。
という真理に身体(ハートやハラ)が気づいているという証拠です。



これは思考(マインド)では察知できない
物質的な目で見ることができないものを見て
物質的な耳で聞くことができないものを聞くことができることで
そういった感覚を使うことでたとえば何かを予測・予知したり
誰かをヒーリングするなどして
周りのひとに貢献する能力の源泉のエネルギーに変わる可能性があります。



ただ、本質的に問題が自分を望んでいる方向へと導いてくれるものだとしても
なかなかそれを受け入れることはできないでしょう。



なぜならそれを許しゆだね受け入れるためには
それを支えてくれる肯定的なエネルギーが必要だからです。



多くの場合、その向き合うエネルギーも充分にないからです。



それは深く傷つき悩むことで多くのエネルギーを浪費しているから。


思考も身体も緊張状態でエネルギーが漏電してしまっている。


だからリラックスすればエネルギーが湧いてくる。


じゃあ横になって充分に休めばいいのだろうか?


そうすると他の動物と同じようにドンドン意識的ではなくなっていきます。


なぜなら垂直に立つことができるから理性の脳(人間脳)が働くようになったのだから水平になってしまえば動物脳の状態になるのが自然で理性の脳が働かなくなるからです。



意識的にリラックスするためにはどうすればいいのでしょうか?



それはバランスよく背骨が真っ直ぐになって身体に力が抜けていること。
(屈んだりしているときには、その姿勢を維持するためにエネルギーを使ってしまいます。)


何かに悩んだり、行き詰まりを感じているとき
自分の姿勢を意識してみる。
そうすると必ず背骨は歪んでいて、身体に緊張があることに気づきます。


だからこそ


リラックスした状態で姿勢を意識してみよう。


そうすると自分の内側に徐々に活力が湧いてくることに気づけます。

2014年05月12日