好きな仕事で生きていくことの怖いワナ

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好きなことをして自由に生きる。

それってとても幸せな生き方なように思える。



若かりし頃、特に反抗期と呼ばれる時期には

家や学校を往復するような生活だったから

校則とかいろいろルールを守ることを

強要されているような感じがしたものだ。



だからいかに巧妙にルールを破ってやろうか?

なんてことも常々考えていた。



そして朝礼で整列しないで済むように

放送部に籍を置いて、

朝礼時にはいつも放送室でマイクの音量の調整や
音楽を流す仕事の役割を積極的に行ったから
朝礼時の髪型のチェックなんてこともされないで済んでいた。



だけど、そういうことをやっていると
当然チクリと告げ口をされる。



「なんであいつはあんな髪型していてOKなのに俺はダメなんだ!」
って感じに。



だからその自由さも、
そこそこ目立たないようにしなければならなかったものだ。


その告げ口っていうのもちょっと卑怯な感じもしてちょっと腹も立ったけど。


そもそも朝礼に出ないで済むようにすること自体

ちょっとずるいし姑息なところがあったから

まあそれはそれでしかたないようにも思っていた。



でもあのバランスって何だったのだろう?


好きなことをする。

好きなものを好きなように食べる。



お酒が好きなら

タバコが好きなら

甘いものが好きなら

エッチが好きなら…。



望んでいることを制限かけることなく楽しむ。

その結果どういうことになるのだろう?

幸せなのだろうか?



スピリチュアルの教えでも

生理学的にも

欲望の赴くままに生きるということは

それなりの代償を得ると言われています。



いろんなことが言われていますが、

中でも印象的なのは

知性が鈍り、退行してしまうということ。



例えばお酒を飲み過ぎて依存症になれば

生理学的にも前頭葉の脳が収縮してしまって

理性が働かなくなる。



エッチなども情欲に溺れていれば

理性が働かなくなる。



欲求を満たし依存してしまっている人を観れば
なるほど理性が働かなくなっていることが
よく解ります。



まあ単純に何が起こっているかというと

好きなことを好きなだけやり続ければ
人はバカになる。



自己啓発系の講座や
心理学系の講座や
スピリチュアルな教えでも
人生は自分を満たすためにあるとも言われてます。



欲望を満たすとバカになる。

だからかつての宗教には
禁欲を是とする傾向があったけど。



ある意味それは真実だったのだろうけど
実際のところは偏った観方をしてしまったようにも思えます。



欲望を満たすとバカになる。
自分を満たすと叡智(知性)とつながる。



前者と後者は似ているようで
全く違うものだとしたら、
バランスよくどのように自分を満たすのか?
もっと真剣に考えてみようと思うのかもしれません。

2016年02月26日