高い志にネガティブな側面があるとしたら

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今まで自己投資のために
いろんな講座に参加した。


NLPや心理学やビジネス講座などなど。


かつては研修は会社が支払ってくれたものだから
ポケットマネーで5000円も支払う講座に出席するともなると
なんかもったいないって感じたものだった。



だけど休日をつぶしたり
平日の夜とか
有給をとってまで参加するようになった。



やがて30万円を超えるような講座に出席したり
し始め、
さらに会社を10日以上も休んで会社に帰ったら
もう席がないよ!なんていうリスクを負ったこともあった。



自分で仕事がコントロールできるほどの役職者に
なってからはさらなる出世を棒に振りかねないほど
自分に磨きをかけるためのモチベーションを抱いて
100万円以上の講座に参加する頃には
もったいないなんて感覚は無くなっていった。



講師は日本人だったり海外からの講師だったりしたけど。

よく講座の冒頭で

「休日にこのような講座に参加していただいた
皆さんは意識レベルが高いです。」


なんて出席者を褒めるようなフレーズをよく耳にした。



「意識レベルが高い。」
なんか特別な人として扱っているようで
プライドをくすぐるような言葉だ。



ただ、実際に高い意識レベルにするコースなどに参加して
意識レベルの高さを体験した後に実感するのは
このような講座で言うところの「意識レベル」って
コンシャスネス(意識・気づき)のレベルを指している
わけじゃなく「志(こころざし)の高さ」を示している
んだなぁ~ということです。



じゃあこの「志」って何だろう?



志というと一般的には社会のためとか世界のためっていう
高尚のものもイメージできるけど。



講座に出席するとき
ほとんどは「自己」投資として参加していたのだから
誰か他の人のためというよりも
むしろ正直な話「自分のため」ということになる。



「自分」のための志…。



それは高い目的意識があるということ。



そういった目的意識(=マインド)をよくよく観てみると
今の自分とは違った何かになりたいという欲求がちらほら
見え隠れしている。



だからスピリチュアルな講座に出席するのなら
サイキック能力が欲しいというような
心の動きがあった…。



じゃあそういった欲求をもっと深く掘り下げてみたら
そうしたいと思う動機の深いところには
今の自分に対する劣等感というか
自尊心の欠如のようなものが感じられたものだ。



だから自己重要感が大切なんだ!
なんて言われれば
ものすごく腑に落ちた。



ただ、今の自分にない何かを求めているその心の深層に
本当は自分を愛していないから
そうしてしまうのだ
なんてことが隠されているなんて風には
なかなか思わなかった。



自分に対する高い目的意識があるというポジティブな側面は
本当は自分を愛していないというネガティブな側面をはらんでいる

ということにはなかなか気づけない。



宇宙の法則を実践する場合
望んだことへの執着を「手放す」ことが大切だと言われるけど。


創造のエネルギーとつながるにはハートがカギになっている。


ハートからのバイブレーションを
感情で表すとしたら
誰もが思い浮かべる感情があるけど。



それを自分に向けることが
創造のエネルギーにつながるということになる。



何かになりたいという志。


それを手放したとしたら
わざわざ自分の重要性を感じることもなく
もっと自然に自分を楽しめるような意識になっていることに
気づけるかもしれない
そう感じます。

2016年02月28日