ポジティブなんですっていう人を観て感じたこと
今から10年ぐらい前。
まだビジネスマンだった頃
作家の中谷彰宏氏の講演に出席した。
その講義は、話を聞くだけの一方通行のものではなかった。
登壇して100人ぐらいの出席者の前で
‶自分”をプレゼンテーションしなければならない。
出席する側としてはそんな話は聞いてなかったので
いきなりなに無茶ぶりするんだ!っていう気持ちになったけど。
会社などでは同じ社員というある意味ホーム状態で
話す機会はあるが
知らない人の前というこういった機会はそうそうない。
いま思い返しても自分がどんなことを話したかは忘れてしまったが、
ある人のプレゼンだけはとても印象が残って
10年経っても未だに覚えている。
そのひとは
「自分はどうしようもなくポジティブなんです!」
なんてことを冒頭からアピールしてきた。
だけど顔の表情をみると微妙にこわばっている。
まあ無理もないこれだけの人数の前でいきなり話をするのは
緊張するものだ。
だけど彼の言っていることは頭では
なるほどと納得できるのだが
ハートではとても違和感を抱いたものだった。
まあ当時はその違和感について深く振り返ることはなかった。
でも今、私が個人的に思うに外側から観察して「あの人ポジティブだなぁ~」
なんて感じるひとは、自分がポジティブなんだなんてことには気づいていないことが多い。
ポジティブだっていうことが解らない。
なぜなら、それが当たり前で「素」だから。
まあ悪く言えば、あんまり考えていないように観える。
「私は○○だ!」とか
「あれは○○だ!」とか
認識・識別するというプロセスを深堀りしていくと。
これはあれと違うとか比較する能力が使われていることに気づける。
そして何かを特定するプロセスでは絞り込みの作業のようなものがあって
その絞り込みは「何か捨てる」ような感覚で行われる。
その捨てる作業は否定のプロセスだ。
この否定的なプロセスをネガティブなプロセスと呼ぶこともできる。
だからポジティブだなぁ~なんて解るのは
それだけネガティブなプロセスが頭の中で展開されている。
そのネガティブなバイブレーションがあるからポジティブだと認識できるのだ。
もしそのネガティブなプロセスがなかったら
ポジティブだ~なんて解らずに
ただただ楽しんでいるとか
ただただ喜んでいるとか
あたかも赤ちゃんや子供のように
感じていることだろう。
だからポジティブに「考える」こと自体
ポジティブに「考えようとする」こと自体
ネガティブなんです。
ただネガティブだからそれを止めようという意味ではなく
このような心や頭のプロセスに敏感に丁寧に意識を向けていることで
徐々に浄化が進んで
人としての成長につながっていくのでしょう。
そのように感じています。
2016年03月02日