感性行動研究所
107-0062 東京都港区南青山2-2-15
ハワイのフナ(古代形而上学)・脳科学・ヨガ・エネルギー療法や
心理学を融合した幸転プログラム
インドで瞑想修行をしていると
よくダーサジ(僧侶)に
「これより〇日間、マウナに入りなさい」
といった指示をうけたもの。。。
最初に
マウナと聞いて
真っ先に思い浮かんだのはハワイの言葉。
ハワイでマウナ(Mauna)といえば、山を意味するけど。(丘を含む)
マウナ・ケア(白い山って意味)ってあるでしょ?
マウナ・ラニ(天国の丘)ってところもある。
そのマウナ。
まあ語源はどうあれ、英語のマウンテンとなんとなく似ているから、そんな風に意味をとらえたものです。
でも
インドの僧侶のいう「マウナに入る」というのは山に入る=山ごもりするってことじゃあない(^-^)。
■マウナとは沈黙。
サンスクリット語ではマウナ(maunam)といえば、沈黙、言葉の制御を意味します。
だからインドで瞑想修行をしたりするとこのマウナに入る。
なぜ沈黙を保つかというと自分の内側にいる=内観するためだったりします。
こちらのマウナの語源は、「ムニ(muniḥ)」とされていて、聖人や賢者を意味するサンスクリット語です。
そしてそのムニ(聖人や賢者)の在り方を、マウナと言ったそうなんです。
インドあるあるでもあるんだけど。インドではマウナを年単位で行う人もいるそうで、まあそれを許してくれるところもある。
ただ、
最も尊いマウナというのは、相手のためになることだけを話すことだととも言われています。
沈黙をして内観して、その内側の観察によって深い洞察やインスピレーションを得ることでそれができるのかもしれませんね。
■観察に「考え」を挟む余地はない。
観察することって、夏休みの宿題でもよくやったものだけど。
純粋に観察するときは、ありのままを考えることなく「観」て、「察」する(おしはかる・推測する・思いやる。同情する。)。
そもそも観察に「考え」を挟む余地はありません。
そういった意味では、マウナは言葉の制御でもあるけど考えの制御ととらえることもできます。
まあ、誰もが役に立つことばかり口にできればいいのですが、
自分自身を振り返ってみると役に立たない言葉を話しているときって
「話さないと気が済まない」というか
そういった感覚に
「せき立てられたり」
「掻き立てられてたり」しているようなところがあります。
でもそうしているときは「察する」ことはしてないということにも気づいたりします。
「察する」というのもその言葉のとおり、おしはかる・思いやることとするなら、
駆り立てられて話しているときは思いやりに欠けてるってことになりますよね。
だからこそ、黙って耳を傾ける傾聴がカウンセリングには求められる。
でも観察がベースなら「考え(分析)」を刺しはさむものじゃないはずです。
「考え」をあてはめるようなら、
「思いやり」に欠けてしまって
そこに癒しはなくなってしまっているということに
気づく必要があるでしょう。
おしはかられ、そこに思いやりが感じられるから
人は心を開き、ハート開花し癒しが訪れる。
もし
人間関係に行き詰まるようなら、
ひょっとすると考え(価値観や信念)に囚われ、
大切な何かが欠けてしまっているかもしれません。
もしそんなところが感じられるようなら
少しだけ、マウナを意識してみませんか?
沈黙の時間をもつことで(よく観察することで)考えを穏やかにするといいのかもしれません。
2019年03月26日
ツイート