怒りの素というのがあるとしたら(1/3)

 

(注:この記事は、ネガティブな内面があったとしても、慈愛をもって向き合うことでハートが開花するという瞑想経験に基づく意図があります。なので読んでいて自分を責めるような感覚が生まれたならそれを意図しているのではなく、その感覚に対して優しさや思いやりを向けてみることをお勧めしています。)

 

怒りの感情を抱いているとき

 

大抵はその状況や他人のせいでそうなっているという感覚がどこかにあるはずです。

 

 

でも本当にそうなのでしょうか?

 

自分に向き合い始めるときっと多くの人が

 

結局、そう反応している自分のせいだということがなんとなく解ってくることでしょう。

 

 

 

怒りの感情を瞑想的に向き合うとき

 

これはあくまでも個人的な経験ですが

 

感覚だけで行うことが最も自分自身の意識を磨くことになります。

 

 

そのとき

 

感覚だけで「根拠のない興奮状態」といったものをとらえることができるものですが、

 

でも直感に頼ったやり方が合わない人の方が多いのかもしれませんよね。

 

 

もし直感で探るのが苦手なら

 

そんなときは、

 

理性やマインドを使って向き合うと随分助けになります。

 

 

その向き合う方法は心理学ベースで行うというのももちろんありだけど。

 

 

でも個人的には

 

それ(心理学的なアプローチ)ってどちらかというと西洋にマッチしたやり方でもあるから

 

日本人だったら

 

むしろ初期仏教の考え方の方が(無意識にとっても)しっくりしやすいと思うのです。

 

 

 

 

心理学でもそうですが

 

怒りの背後には「怖れ」「不安」が隠れているといわれています。

 

 

そして心は鏡のように投影しているので

 

他人への怒りは本当は「自分への怒り」だったりする。

 

 

 

その「自分いじめ」が習慣化していれば怒りやすくなる傾向があります。

 

 

これは心の防御システムが関係していて

 

不利・不安な状況を無意識に自分の都合のいいように解釈を曲げて心を守ろうとするからなんですね。

 

 

そうやって

 

心の底では自分に腹を立てているのに気づくことなく、相手のせいにしてしまうのです。

 

 

 

初期仏教の話は長くなりそうですから、続きは次回のコラムにて。

 

 

(つづく)

 

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2019年07月30日