幸運と自己肯定の間にある落とし穴(2/4)

 

パートナーが話しかけてきて、

 

大坂なおみちゃんのモノマネをしてるのかな?

 

なんて思ったら

 

単に歯ブラシを咥えてるだけだった。

 

歯磨き中だったのね~…。

 

おはようございます。竜二です。

 

前回の記事のつづきです。

 

 

 

 

良い人で真面目でノーと言えないひと。

 

そういうお人よしって嫌いじゃないけど。

 

度を過ぎていれば、集団では損な役割をもってしまう。

 

 

 

そういった意味では

 

集団の中で他人の基準で生きるのは、

 

運から離れてしまうことになるかもしれません。

 

 

 

でも逆に

 

自分の基準で生きればいいかというとどうでしょうか?

 

 

 

実は

 

自分の基準に囚われてしまうのも、あまり変わらないんです。

 

 

なぜかっていうと

 

自分の基準って結局のところ

 

誰かの価値観の影響を受けているからんですね。

 

 

 

 

じゃあどうしたらいいの?

 

って話なのですが

 

どちらからも自由であるということ。

 

なんです。

 

 

 

こうあらねばならないという

 

他人の基準や自分の基準といったものから自由になると

 

ある意味いい加減な不真面目な人のようになります。

 

実は

 

マインドフルネス的にも

 

脳波やホルモンバランス的にも

 

穏やかな意識状態ってそんな感じなんです。

 

 

 

う~ん。

 

 

たとえば

 

幸せな瞬間というのを思い起こしてみれば

 

きっとそういう感じになっているはずです。

(過去の事なので妙にテンションが上がっていないけど

 地味にワクワクするような感覚がベースにある状態)

 

 

 

日本の(心理療法)交流分析の重鎮である和田迪子さんによれば、

 

損を引き受けてしまう人は「泣き寝入りの万能感」があるひととのこと。

 

 

う~ん。

 

これもまた

 

なんのこっちゃ?

 

って感じですが。

 

 

 

たとえ今は運が悪くても、

 

理不尽な状態にあっても、

 

きっと努力していればいつかは報われることがあると

 

いう万能感。

 

 

という感じだそうです。

 

 

 

あらら、私も

 

いままで頑張ってたときは、

 

いつかは報われる!と自分に言い聞かせてたっけ。

 

 

なんとなく被害者意識のエネルギーを感じませんか?

 

受け身というか消極的な響きというか雰囲気というか・・・。

 

 

 

それとは逆に

 

和田迪子さん曰く万能感には泣き寝入りの他、

奢りタイプの万能感というのもあって、

 

私は何でもできるって感じで

強大な権力をもって「過剰支配」するというもの。

(曰く織田信長タイプ)

 

 

こちらは努力して報われて一旦は成功するけど

後に「万能感」に陥って破滅するタイプ。

 

があるそうです。

 

なんか泣きっ面にハチって・・・。

 

これは根拠のある自信を「持つ」ことの影の側面でもあるんですね。

 

 

 

ですから

 

交流分析的には

幸運を引き寄せるには

I am not OK(私はOKじゃない)

I am OK(私はOK)

になる必要があるけど。

 

 

さらにもっと心の深い領域(集合的無意識の領域)になると

 

もっとも重要なカギとなるのは

比較ジャッジによって生まれる劣等感のように思えるのです。

 

 

続きは次回の記事にて。

 

(つづく)

 

 

※心理学を否定しているわけじゃあありません。

 でも学問や理論って基本的に枠にはめることですから

 幸福(=一体感)とは逆の分離の側面があるので注意が必要です。

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2019年08月16日