影響を与えて変化「させる?」…そこに決して愛はない。

私たちは、他者に影響を与え、自分の思っている通りに変えたいと思っているということに、ほとんどの場合自覚できていないかもしれません。



例えば、誰かの願い(たとえば子供が学校をやめたいとか)があったとします。
それを聞いたとき、自分の意に添わない場合が多いはずです。
そして、なんでそうしたいのか?
その真意は、相手が上手く言語化できていなければ理解もできないかもしれない(切実な想いほど言葉にはしづらい)し、同意することすらもできない。。。



だから、
自分の価値観に則ってこうすべきだ!
そうしてしまってはダメだ!
と相手を自分の思うとおりに説得して変えようとするはずです。




そんなときは知らず知らずのうちに私たちは、自分の価値観や大切にしているものを尊重して、他者の想いは尊重せず、相手を変えようと心の聖域に土足で侵入しているのです。
とくにそういうときは「私は知っている」「私は正しい」という感覚があるものです。




本当の意味での愛は、甘やかせるのではなく、自分で決めたことはすべて自分で責任をとるということを学ばせるものだと私は思っています。
それが自分の子供であっても、対等な立場であっても、親や目上の人であっても。。。




誰もが自分にとっての「心の聖域」というものがあります。
その「聖域」は、ひょっとすると私たちにとってネガティブな領域のように感じるかもしれません。
たとえそうであっても、
理解したり同意しなければならないってことは一切ありません。
ただ、私たちができるのは、そのひとがその聖域を守り続けることについて最後まで(その結果をも)責任を負うという決意があるか?ということを確認するまでなのでしょう。




冷たいように思えるかもしれないけど、無条件の愛って相手の責任能力を尊重するような側面もあるんです。

 

(つづく)


2013年01月23日