幸運と自己肯定の間にある落とし穴(3/4)

かつての私もそうだったのですが、

 

なにくそ!という気持ちで

 

いつか絶対に見返してやるって頑張っていたことありました。

 

 

高校受験の時は、担任に志望校を受けさせてもらえず。

 

(この高校は定員割れで全員合格になったから当初は先生を恨んでました。おそらく先生は偏差値の高いその高校には馴染まない※と判断したんだと大人になってから理解したものだけど。※中一の時はかなりの問題児だったため)

 

 

絶対に合格するヤンキー高校に入るハメになり、

 

そこで培った反骨精神みたいなものに突き動かされ

 

30歳ぐらいまでは闘うようにして生きてきたものです。

 

 

 

おじさんになってから

 

心理学や催眠療法やNLPなどを学び講師になり

 

インドの山(レインボーマンかい!)や

 

聖地などで瞑想修行などをするようになってから

 

その状況は一変しました。

 

 

 

だからこそ

 

瞑想を続け、いつも内観していると

 

あ~何かを証明したい感覚っていうのがあるんだなぁ~なんて実感したりするんです。

 

 

 

昨日の記事の続きですが、

 

 

劣等感をバネにして成功したときは

脳の快楽ホルモンの分泌で優越感にひたるけど。

 

 

その快楽の状態は長続きしないで、

 

自己(セルフイメージ)を維持するために

 

ときには

 

優劣を意識して過剰に自己重要感(自己肯定感)をもってしまうこともあるはずです。

 

 

もしそうなれば「奢りタイプの万能感」をもつことになるでしょう。

 

 

 

劣等感をバネに頑張りつづけて

まだ成功してなければ

「泣き寝入り万能感」になるかもしれません。

(曰く明智光秀タイプ)

 

 

 

だから

I am not OK(私はOKじゃない)

I am OK(私はOK)

にすることが重要ではなく。

 

 

 

比較やジャッジや執着を手放して

 

さらにOKする※という承認の基準すらも手放して

(OKするにはジャッジする基準が必要)

 

すべてを思いやるような感覚になったら

 

何てもあり!って感じになります。

 

 

もしそうなったら

 

ちょっと不真面目に人には見られるかもしれないけど。

 

 

 

「自分はわかっている。なんでもできる」

 

という万能感でもなく。

 

今は良くなくても報われるって感じで

 

「私はこれでいいんだ」

 

という万能感でもなく。

 

 

 

たえず比較やジャッジで思考活動から

 

脳を解放し、

 

脳を休ませる必要があるかもしれないんです。

 

 

 

続きは次回の記事にて。

 

(つづく)

 

 

※心理学を否定しているわけじゃあありません。

 でも学問や理論って基本的に枠にはめることですから

 幸福(=一体感)とは逆の分離の側面があるので注意が必要です。

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2019年08月20日